韓国建築探訪 Mimesis art Museum

韓国のパジュ市にあるポルトガルの建築家Alvaro SizaとCarlos CastanheiraのMimesis art Museumを訪れました。
仁川の友人の家から、バス→地下鉄→バスを乗り継いで2時間半ほど。
「こんなところにシザの建築が!?」と思うような場所なのですが、周辺は出版関係の会社の面白い建築が立ち並ぶ地域でした。(パジュ市は、Book cityらしい)

訪れた日は日曜日で、おまけに寒さもあいまって周辺は閑散としていました。
暖かい天気のいい日にまた訪れると印象がまた違うのだろうと思います。

美術館は内部も見ごたえがあり、立体的な造形と光の空間演出にワクワク。
寒い中出かけた甲斐がありました。

今回、もう一つ、Sizaの建築で2018年に出来たばかりのSaya Parkにも行きたかったのですが、情報が少なすぎて達成ならず。韓国人の友人の助けも借りてネットで探しましたが、一般公開しているのかどうかも分からず断念しました。
また次の機会への楽しみにします。(NN)



ルール工業地帯へ(ツォルフェアアイン炭鉱群)

2013年12月5日、フランクフルトからコペンハーゲンへ夜行列車で出発!
のはずが、この日、デンマークやスウェーデンに猛威をもたらしたOrkan(暴風)の影響で、列車が運休。次の日も運行の目途がたたないというドイツ鉄道の見解だったため、泣く泣くコペンハーゲン行きを断念。コペンハーゲンでは、フィンユールの自邸を見学する予定でした。
計画変更となれば、切り替えは早いです。ドイツ鉄道は、出発の3日前までで空席があれば、割安で列車に乗ることが出来ます。3日後に列車でオランダへ行く予定にし、フランクフルトとアムステルダムの中間にある世界遺産にも登録されている炭鉱郡跡のあるエッセンという街をバスで訪れることにしました。

ツォルフェアアイン炭鉱群では、1990年前半までコークス生成工場として可動していた工場群跡の見学ツアーに参加してきました。敷地も広いですが、工場自体もかなりの大空間です。100メートル以上も深い場所から石炭を掘り出すことも大変な作業ですが、それだけの深い場所から引き上げる技術、加工する技術、当時の最先端の技術を駆使した、ものすごいヒューマンパワーとものすごいマシンパワーで、皆が作業していたかと思うと興奮します。12月初旬で、断熱材もなく暖房もない建物の中は寒々としていましたが、何重にも走るパイプの数々を見ると、稼動時にはものすごい熱量で熱気立っていたことだろうと実感します。
敷地内の別の建物は、博物館として利用されていました。レッド・ドット・デザインミュージアムがあり、優れたデザインに送られるレッド・ドットデザイン賞を受賞した工業製品が展示されていました。工場内の機械や何かのメーター、冷却水などのパイプ跡などもオブジェのように静かに佇んでおり、当時は音をたて湯気を出し稼動していたのだろうと思いながら展示品と平行して鑑賞していました。

敷地内の建物は元工場ということもあり、赤い鉄骨の骨組みをレンガの壁で塞いだだけという、いたってシンプルな構造。そのシンプルさがかえって美しいです。今であれば、断熱材や窓との取り合いや雨じまいなど考えると、鉄骨とレンガという異素材をそれぞれ生かしたデザインの組み合わせで、ここまで平らなファサードは難しいのかな。

黒がかっこいい・・in London

今回は、フランクフルトから飛行機で一度飛び、ロンドンを訪問。早朝4時には滞在先を出発し、5時前には空港に着かなければならないという、無謀な時間帯のフライトを選択。おまけに、利用するはずだった地下鉄がなかなか来ず、仕方なく他の乗客とタクシーを乗り合い駅へ向かうという、かなり慌しい出発。
ヒースロー空港に到着してからも、オイスターカード(交通機関をお得に利用できるカード)を買うのに戸惑ったり、ホテルがなかなかみつからなかったりと、何かと不安な旅のスタートとなりました。1日目は、とにかく地下鉄を利用し、まずバッキンガム宮殿をスタートに博物館など観光名所にをあちこち動きまわりました。2日目に入り、なんとなく街の雰囲気とか位置とかが把握できるようになり、次第に不安が薄らぎ、ロンドンでの旅をようやく楽しみ始めました。旅先で縦横無尽に移動できる地下鉄は、やっぱり便利。今ではすっかりロンドンの地下鉄ファンです。

はじめてのロンドン訪問で受けた印象は、「黒がかっこいい」というところでしょうか。ロンドンタクシーにしろ、建物のまわりを囲む鉄柵にしろ、街灯にしろ、黒+白+ゴールドという組み合わせがエレガントかつ、カッコいいのです。特に、石造りの建物の玄関先のドアや床の石の組み合わせのお隣さん同士の微妙なコーディネートの違いは、歩行者の目も楽しませてくれます。ツヤツヤな黒あり、マットな黒あり、シャビーな黒あり・・・、この滞在中、どこへ行っても黒・白・ゴールドの組み合わせにはついついココロ魅かれることとなりました。

ベルリン その2

ベルリンの博物館や美術館の集まる地区Museuminsel近くには、イギリスの建築家David Chipperfieldの設計したギャラリーがあります。気になりすぎたので入り口の重たい木製のドアを開け、入ってみることにしました。
実は、スマートに入ったわけではありません。ギャラリーに展示されている作品を見学するのが目的ではないので、単純に建築だけをみたいという不純な動機で入ってもいいものかどうか、入場料は必要なのかどうかと、はじめは躊躇しながら入り口のガラスにへばりつくように案内板を慎重にのぞきこんでいました。怪しいアジア人を見るに見かねてか中の受付のおじさんが、人懐っこそうに「入りたかったらベルをならしたら」と言わんばかりにジェスチャーでベルの方向を指差し、教えてくれたのでした。意外とウエルカム状態で受付では親切に階の説明をしてもらいました。おそらく、私と同じようなChipperfieldファンが沢山やってくるのだと思います。
このギャラリー、歴史的建造物の残るブロックの第二次世界大戦で破壊された一角に建てられた、クラシックな石作りの外観。マッシブなんだけど、ファサードの大きな窓や木製のパネルのおかげかモダンな雰囲気です。内部も余分なものをそぎ落としたすっきりとしたデザインででした。

ベルリン その1

DessauのBauhaus見学の後は,Berlinへ移動。
デッサウからドイツ鉄道のRB(快速電車)にのり、1時間半ほどでベルリンに到着します。
ベルリンへは2007年に訪れて以来、3度目の訪問。
ベルリンは大好きな町の一つで、交通網が充実しているところが理由のひとつでもあります。旅先ではよく地下鉄や電車の1日券を買い、一日中 行きたいところをあちこちと移動します。効率よく移動できるよう路線図を参考に行きたい場所の駅を調べ乗換えを考えたりするのは、旅の醍醐味を感じる瞬間です。特に今回は寒くなりだした時期だったので、時間を気にすることなく暖かい電車の中から景色を見ながらの移動を楽しんできました。
ベルリンは、中心部のMuseum Insel(博物館島) 、中央駅から少し西へ脚を延ばしてクーダム(Kurfuerstendamm)という買い物を楽しめる通り、東に行けば、昔のレンガ造り建物の工場群が残るような地域や旧東ベルリンのソ連統治時代のマッシブな建物の並ぶ通り Karl-Marx-Alleeなど、いろんな雰囲気を感じることが出来ます。
上の写真は、たまたま見つけたポルトガルの建築家Alvaro Sizaの建物です。1980年代のベルリンリニューアルプロジェクト(IBA Berlin)の一環で建てられた集合住宅です。ファサードの最上部には建設当時、塗壁の乾かないうちに誰かに”Bonjour Tristesse(悲しみよこんにちは|仏映画)”なんて落書されてしまったらしく、建築家の同意の上そのまま出来上がったそうです。
Sizaの建物から歩いて10分ほどのところには、以前は工場だったようなレンガ造りの建物郡のある地域があり、週末だけの蚤の市や、アーティストの小さな展覧会などが催されていました。ドイツは日曜日はほとんどの商業施設は閉店しているのですが、買い物目的でなくてもココにくれば何かが起こっているのではないかと思わせてくれるような場所です。(落書きは残念ですけどね・・・)
ベルリンを初めて訪れて以来7年ほど経つのですが、その変化に気づかされます。
当時は、古くて手入れが行き届いていないような建物の中にカフェや小さなお店があったり、若いアーティストがアトリエとして利用していたりするようなところが多くありました。そういった光景がベルリン独特の雰囲気であり、色々な人にチャンスがあるのではと感じるところで、そこがベルリンの魅力なのだろうと思っていました。時の経過とともに以前の小さな雑貨屋さんなどは海外ブランドのお店に変わっていたり、なんとなくさびしさも感じたりしましたが、とは言え、新たな発見もあったりと変わらずベルリンは大好きな町のひとつです。

ドイツ建築―バウハウス学生寮


11月中旬よりドイツのフランクフルトを拠点にヨーロッパを旅しています。旅の始まりはデッサウのバウハウス。少し前、1926年に建設された当時の学生寮が改修され、今年の10月から宿泊施設として提供され始めたということをニュースで知りました。以前から気になっていたこともあり今回、思い切って訪れてみることにしました。
フランクフルトからICE(高速列車)でライプチヒに向かいRB(快速列車)に乗り換え約5時間半、駅から徒歩約10分で到着。1926年に建設された今でも古臭さを感じないバウハウス建物群のファサードが見えてきます。各部屋の窓からから飛び出た片持ちの"Französchische Balkon"(フランス式バルコニー)のある建物が当時の学生寮です。
内部は赤・青・黄色・黒やグレイなどの色を用い、手すりや梁などの機能部分を立体造形要素として用いシンプルに構成されています。一応、階段室は階ごとに位置的にわかりやすくするためでしょうか異なる色で塗り分けられています。特に色使いの意味はなく、バウハウスの教育方法でもあったように、どう空間が格好良く見えるかというのを実験的に試したかったようです。

部屋は机・椅子・棚・ベット・手洗い器のみ。シャワー室・トイレは共同です。 インダストリアルな雰囲気を醸し出す鉄製窓枠がカッコ良く眺めもいい部屋です。窓は当時のまま、ガッチリ閉まる断熱サッシではありません。そのせいか、暖房は良く効いているのですがなんとなく部屋は寒かったです。世界遺産にも登録されており、ほとんど1926年当時の仕様のままのようです。隣部屋の人の鼻をかむ音が聞こえたりカギを開ける音が聞こえたり遮音性が良くないのが気になるところではありますが、清潔で明るい部屋なので過ごしやすいです。

バウハウス校舎から徒歩で15分ぐらいのところに、Meisterhäuser(マイスターハウス)というグロピウスの設計したカンディンスキーやパウル・クレーなどの教授陣が住んでいた住宅があります。こちらもシンプルでモダンな時代を感じさせない建築です。内部も家事などの作業効率を考えた平面計画であったり、グロピウスが各部屋に機能を持たせたかったというコンセプトの下、造り付けの家具が備わっています。小さな書斎や開放的なアトリエがあったりと空間的にもメリハリがあり見応えがあります。
Meisterhäuserの敷地の入り口にあたるところにはミースのデザインしたTrinkhalle(飲み物やスナックなどの買える売店)も復元中で、これからデッサウはますます建築ファンにとって面白くなりそうです。

バウハウスは、そこで当時生み出された工業デザインにしろ建築にしろ何かと気になる存在。バウハウスは少なからず私がドイツで建築を学ぶきっかけになった学校です。私が建築という分野に興味を持ち始めたころ学んだ私の師匠の師匠はバウハウス出身。デッサンや基本的な造形技術を学び、その鍛錬を実験的に繰り返し自らのデザイン法を模索する教育方法はとても興味の持てるものでした。
今、建築という仕事に携わり紆余曲折ある日々ですが、初心を忘れず自分たちのスタイルが早く確立できるよう頑張ろうと思いつつ訪問したデッサウのバウハウスでした。


日本の風景&建築探訪


週末はドイツの友人が福岡に訪ねてきてくれたので熊本へ建築探訪へ出かけてきました。
我が家から車で約3時間、球泉洞休暇村にある木造バンガローを目的にドライブがてらの小旅行。山あいの川沿いの細い道をぐんぐん車で登っていくドライブはドイツ人である友人にとってなかなか出来ない経験だったようで、かなり興奮気味で感激している様子でした。
 外 国人の友人などを日本で案内すると、私たちにとってはごく当たり前でありふれた風景や習慣であっても、それに興味を持ち思いもしない質問を「ナンデ?ドウシ テ?」とよく投げかけられます。日頃あまり気にもならないような質問に困惑するも、それはそれで私自身、日本についてあらためて考えたり学んだりとよい機会で もあります。
興味深かったのが、山間部の平地の稲穂畑を目にしたドイツ人の友人が「平地がちゃんと有効活用されてるなんてすばらしい!」と いうのです。それに対し、ドイツで生活していた頃、日本人の私はドイツのだだっ広い緑の平野にたびたび感動していたのですが、なぜそういう風景なのかあまり深く 気にも留めなかったものです。
確かによくよく考えてみれば、平野部の多いドイツに比べ国土の7 割以上が山岳地帯の日本では、山間の平野部を田畑として有効活用するのは必然的です。国土の広さはあまり変わらないドイツと日本ですが、地形の違いがその国の特有の風景になっているといまさらながら気づかされた友人の一言 でした。

お目当ての2つのバンガローは、残念ながら内部の見学はできなかったものの海外の雑誌でもよく取り上げられる建築を見ることができ、私同様、友人もかなり喜んでいました。 内部はきっともっと面白いんだろうな。

Am Wochenende hat mein ehemaliger deutscher Kommiitone uns in Fukuoka besucht. Als Tagesausflug sind wir nach Kumamoto mit dem Auto gefahren.
In Kumamoto, die in Japan als Kumamoto Artpolis berühmt ist,  gibt es seit dem Ende der 1980er interessante Architektur. Ich und der Kommilitone interessieren sich für Holzbau. Deswegen haben wir dafür entschieden, die Ferienhäuser aus Holz zu besuchen, eins von denen der japansche Architekt Sou Fujimoto entworfen hat. Obowhol es von Fukuoka über drei Stunde mit dem Auto gedauert hat und leider man nicht die Innenräume der Ferienhäuser besichitigen konnte, hat sich der Ausflug gelohnt. Mein Kommilitone war sehr begeistert nicht nur von den Häusern auch von der typischen japanischen Landschaft vom Bergland.